私たちはこの8月、終戦を覚え平和を祈ります。先人たちが二度と戦争をしてはならないと心に誓い、平和憲法を新たに戦後の歩みを始めたことを忘れてはなりません。一方で今に至るまで、世界では戦争・紛争は止むことなく続き、冷戦からテロへ、再びナショナリズムが強く世界を覆う時代です。
争いの原因は世の覇権、権威、富、とりわけエネルギーと資源、力や影響力の掌握とそれに関わる利権、搾取、虐げ、圧力、差別、不公平、また、その裏返しの恨み、妬み、報復などです。自由と分配がなされるところには争いは起こりません。
聖書が導く平和への道の一つはイスラエルの律法に教えられるヨベルです。
あなたがたは五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰る。(レビ25:10)
7年毎に安息年、7回繰り返すと49年目の安息年、その次、50年目はヨベルの年ですべての債務、あるいは奴隷が解放され、相続地に帰って一からやり直すことができるという赦しと回復の恵みの年です。ところが、ヨベルが行われた記録は聖書の中にないのです。現代も世界の中で最もキリスト教率が高いルワンダや北アイルランドで民族紛争や大虐殺が行われたことは記憶にとどまっています。実に人は罪深く、形ばかりの信仰がむなしいというヤコブの手紙にある通りです。
キリストの恵みはユダヤ人と異邦人、奴隷と自由人、男と女を超えてすべて一つとされる恵みです。そこには7を70倍するまでの赦し、赦されたように赦し、進んで施し、進んで与える交わり。「愛は結びの帯として完全(コロサイ3:14)、愛は多くの罪をおおうからです。(1ペテロ4:8)」という、「平和をつくる神の子」(マタイ5:9)として、歩むことをまず自分から祈ろうではありませんか。