「強くあれ、雄々しくあれ」ヨシュア1:1-18

 いよいよイスラエルは約束の地に入ろうとしています。それはアブラハムの召し、「地のすべての民族はあなたによって祝福される」という遠大な神のご計画です。なぜカナンでしょうか。ここは古代文明の交わる場所です。ユーフラテスからはアジアへ、エジプトからはアフリカへ、後に栄えるヨーロッパへ、つまり世界の「へそ」だからです。
 ヨシュアには「強くあれ、雄々しくあれ」と励ましを与えますが、その前の一節、「わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」は何と心強いことばでしょうか。そして「右にも左にもそれるな」とは、みことばを行うことによってです。カナンの地は過程であり手段です。目的は「祭司の王国、聖なる国民」となること。それを導くのに彼は神からの励ましのことばを必要としたのです。
 彼らはヨルダンを渡ります。世代が替わって彼らは海を渡ってはいません。川を渡る経験は彼らの信仰を勇気づけました。続いて不思議な方法でエリコの城壁が崩れ落ち、彼らは攻め取ります。ところが続くアイは失敗するのです。それは聖絶のものを取ったアカンゆえです。聖絶、それはカナンの偶像をへの裁きであり、彼らの誘惑の種を取り除くため命じられたことでした。そして、アカンが裁かれて後、エルサレム周辺の王たちを討ち取り、さらに占領地を拡げ、相続地として分割されました。
 ヨシュアの最後のことば、それはこれまでの神の恵みのわざを見てきて、「主に仕えるのか、神々に仕えるのか、今日選べ」という迫りのことばです。私たちもそうですがその迫りは今日、今、選ばなければならないのです。民は「主に仕えます」と3度繰り返します。それはペテロの経験とも同じですが、確かな信仰のしるしです。そして、それは信仰者がいつも問われる問いです。ご真実な主の導きにまっすぐこたえて進みましょう。