人のいのちの日は

 人のいのちの日は、たとえて言うならば、ローソクのようなものです。その始まりがあれば、必ず燃え尽きるときが来ます。それはみなよく知っています。誰もがそれを受け入れなければなりません。

 私たちの目には、大きく、太く、長く、いつまでも燃えるづけるように映っていたローソクが、思っていたよりもずっと短かったとしたら、あるいは、それが突然に吹き消されたとしたら、受け入れがたい悲しみに覆われます。まして、消えそうなくらいに揺らいでいた炎が再び勢いを取り戻したのです。それが吹き消された。今、私たちはそういう思いを経験しています。

 新しく火が点ったローソク。それは消えることなんてまだ考えられません。生き生きと始まったその小さな炎は、周りを照らして喜びを与えてくれます。小さな小さな炎、それがやがて周りを明るく照らすことを心から願います。先に燃え尽きるローソクならば、ともに輝く時間には限りがあります。

 風の強いときがあるでしょう。その時には身を寄せ合って炎を大きくし、あるいは陰に身を避けてその時をやり過ごす。そうして炎の火を絶やさないようにと私たちはともに炎を灯し続けているのです。

 ただ一つ、私たちに望みと慰めがあるとしたら、地上の炎が消えたようでも、それは天に移されたのです。しかも、永遠の決して燃え尽きることのない、絶えず油を豊かに注がれたいのちです。そうです、それは消えたのではなく、移されたのです。私たちは地上にあっても神の国をかいま見て喜んでいます。とすればなおさらのこと、天でいただく栄光はどれほどのものでしょうか。ただ、その慰めをもう一度胸に深く刻み、今日この日、互いのいのちの火を心から感謝して、喜び生きようではありませんか。