会うことでいただく元気が…

 コロナ下での生活が2年を数えるようになりました。礼拝堂に集まらない主日を迎え、これも一時のことと思っていたのですが、いまだ視界不良。先行きが見えません。教会の周りでも普段なら春に行き交う多くの大学生たち、もう、新3年生までがコロナ下での学生生活。講義はオンライン。限られた人としか会わない生活が続いています。
 私も主日になれば、多くの兄姉とあいさつを交わし、ともに礼拝をささげていたのが、会堂にいるのは1/4、1/3という状態が長く続いています。平日も圧倒的に人の出入りが減りました。そうすると、いかに兄姉に力いただいて立たせられていたのかということが沁みてきます。そう、兄姉の祈りと励ましによって立たせていただいているのです。それは誰も同じ。自分で立つ自立はとても大切なことですが、同時に支え合って生きている互いなんだということを深く覚えさせられます。
 しばらくの間だろうと思っていたことが2年も続くと次第に元気を失います。「コロナうつ」になる人がぐっと増えたと聞きます。誰にも会わずに一日を過ごし、あるいは場所を変えることで切替をしていた仕事がリモートで区切り付けにくくなったり、そこにいるからパッと進むことが進まない苛立ちであったり。そういうものがちょっとの間だったなら、たまにはラクかもと思っていたのが、長く続くと疲れがでてくるのです。
 人はひとりじゃ生きられない。「人がひとりでいるのはよくない」(創世記2:18)と神が言われたのは、神さまのオリジナルデザインが人が支え合って生きることだからです。出会いで与えられる世界の広がりやともにいただく元気が、こじんまりと閉じ込められた小さな世界になってしまった。せめて、今できることをコツコツ続けること、小さな交わりであっても、笑顔を絶やさずに互いを励まし合うことを続けていきたいと願うのです。そして、それはいついつでも。