会計と教会の財布

 人がともに生きるということは、財布を一つにするということです。教会は、主のために皆で献げて、その財布を一つにするところです。聖書は十分の一を一つの基準として喜びをもって献げること、また互いの生活を共有して支え合うこと、恵みと感謝を分かち合うこと、主の教会と宣教のために用いるべきことを私たちに教えています。

 一方でお金の管理というのは簡単なことではありません。他のことでもそうですが、さらっと難なくできる人もいれば、苦手でいくら計算しても合わずに悩み込む人もいます。また、財布を預かるということは、他の人には見えない様々なことを見なければならなくなりますし、そこにお金があるという誘惑をも引き受けなければなりません。

 お金のことはシビアです。世の中で「カネも出すが口も出す」と言われるような小うるさい人が出てきます。使い方で公平だ不公平だと不満が起こります。互いの間で、男女や世代によっても経済感覚は違いますし、大事だと考えることも異なります。一昔前、日本が総中流と言われ、上向きだった時代にはおおらかに受け入れられたことも、厳しい時代の今、またこれからも人によって感覚は違うでしょう。また、まさかあの人がと思うような人がお金のことで失敗することだって少なくありません。

 ですから、教会の会計は神の御前にも人の前にも誠実で信頼の置ける人に、またそれを管理する能力のある人に委ねることが必要です。また、奉仕者が覚えておくべき心構えも必要です。一人で扱うことには間違いや誘惑が伴います。またその責任の大きさは過大となるでしょう。会計の奉仕はキリストのからだの一部として大切な奉仕です。それにとどまらずにすべての奉仕をからだの一部として互いに献げ合いましょう。