天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。伝道者の書3:1
時というものは不思議です。生まれてくる時代も場所も、家も親も兄弟も選ぶことができません。私たちは自分で選んだことよりも選択を迫られて選ばされたこと、向こうからやってきて与えられたことの方がずっと多いのではないでしょうか。
聖書の時代、ペンテコステという神の祝福の時、そこに居合わせた人たちは驚きと喜びをもってことを受け止めたことでしょう。彼らが集まり、祈りをささげていると突然、天から激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡りました。さらに炎のような分かれた舌がひとりひとりの上にとどまり、聖霊に満たされて、他国のことばで主のみわざを語り始めたのです。
それは「突然」のことでしたが、彼らにとっての「突然」です。神の視点から見るならば、ご計画の一部です。私たち人間には、先のことまで遠く見通すことはできません。今ここにいることだって前々から計画していたようなことではないでしょう。神の導きのなかで不思議と導かれてのことです。
私たちはその時を無理矢理に動かそうとしたくなることがあります。あの時、こうしておけばよかったのにと過去を後悔し、嘆くこともあれば、今のすべてを投げ出したくなることもあります。また、ただ先延ばしにすることもあります。強引にねじ伏せてことをなそうとすれば、その歪みはどこかで刈り取らなければなりません。
そう、神は時を備えておられる。ちっぽけな私たち人間にはわからないけれども、最善の時を備えてくださる。時期がくればすんなりと進む時を。さあ、焦らず、振り返らず、今という時に委ねられたことを、日々一生懸命にしようではありませんか。