私たちの人生は短いようで長く、長いようで短いものです。楽しみは一瞬、一方で悲しみ悩みに耐え忍ばなければならないとき、出口が見えない暗がりを歩んでいるとき、終わりないことには永遠と思うほどに長く感じます。そう、人はゴールが見えないとき、暗澹たる思いに支配されてしまうのです。
詩篇の中にはそんな「いつまでですか。主よ」という問いかけが何度も出てきます。いつまでも進まない時計の針。もう夜が白みはじめただろうかと思っても、まだ真夜中、時計の針は10分しか進んでいない。そんな時が私たちにはあります。走って走って走り続けて、やっとゴールが見えたと思った束の間、引き延ばされる。どこまで行っても終わりが見えない。そんなことが少なくありません。もう放り出したい、すべてを捨ててしまいたい。そんな気持ちになることもあります。
私たちはすでに神の子とされた。主イエスの十字架と復活がすべての罪から私たちをきよめて救われたのです。一方で地上を生きる私たちは神の国の完成との狭間を生きています。まだ未完成なのです。やがて来るべき救いの完成を待ち望んでいるのです。そしてその保証は昇天して天におられる主イエス・キリストご自身です。クリスマスはキリストが世にこられた初臨と呼びます。再び来られてすべての悪を滅ぼし、救いの完成をくださる時、それが再臨です。
私たちはこのクリスマス、その望みをもう一度新たにしたいのです。今、苦しみうめいていても、それは永遠の時間の中では一瞬です。産みの苦しみ、どうしてそれを耐え忍ぶことができるでしょう。それは望みがあるからです。苦しみを補ってもまだまだ余りある豊かな喜びに満たされるからです。このクリスマス、主の救いの確かな保証を感謝し、望みを新たにしようではありませんか。