原発事故が起こると

 昨日の新聞に「核燃料搬出19年度以降、カバー解体、多難の一歩、地元、飛散に不安」との記事がありました。福島原発1号機の建屋カバーの解体作業です。3号機の解体作業時には、飛散防止の液剤散布にごまかしがあって、一時的に放射性物質が飛散したこともあって、より慎重にその工程が検討されてきたようです。

 3月の福島訪問、3月24日に岸田牧師の案内で線量計で計測しながら、国道6号線を走り抜けました。車は走り抜けるならば、累積被曝量を小さくできます。途中で留まると被曝量が多くなるため、線量の高い区間は車が止まれないようにガードレールが切れた場所などはすべてバリゲートで覆っています。国道沿いの風景は変わらなく見えますが、かつては結婚式場だった場所は作業員の車で埋め尽くされていて、行き交う車もほぼ関係車両でした。私たちは昼間だったわけですが、夜になれば真っ暗闇。ゴーストタウンと言っては失礼ですが、人が住めなくなった場所だと実感します。

 原発最直近では、次第に線量計の線量が高くなり、5.28μSv/hを計測した後、測定上限の6μSv/hを超えてエラーになりました。東電発表の原発構内のモニタリングポストの値は1.7~3.5μSv/h。場所によって100μSv/h近い場所もありますが、おしなべて低いのです。発表データの信憑性はどうなんだろうかと疑わしく思えます。

 この高線量の中で働く作業員たちの健康被害はどうなるんだろうか。いまだ燃料がどこにあるかもわからない。調査ロボットも次々と壊れてしまう。この状態で保たれていること自体が奇跡的とも思えるような状態。いつ壊れてもおかしくない極めて危険なものと隣り合わせだということを忘れてはならず、主のあわれみを祈るものです。