水曜の祈祷会に国際飢餓対策機構(JIFH)の田村治郎主事が来てくださいました。4年ぶりのことです。昨年来、私の頭の中は震災で震われて、この国の復興を、教会の復興をと考え、祈る生活が続いておりました。お話しをお伺いして、視野が小さくなっていたことを改めて覚えさせられました。
今、特にソマリアなど、東アフリカの大規模飢饉は深刻です。ソマリヤ南部では1日最大2,500人が餓死し、1日あたり約1,300人が隣国ケニアに、数百人がエチオピアに逃れ続けています。国境近いダダーブ難民キャンプではすでに45万人以上の人たちが避難しています。受け入れ国の食糧事情も悪化。ジブチも含めた周辺4カ国全体で、計1,240万人が生命の危機に直面していると報道されています。「村には4年間も雨が降らない。家畜のヤギ200頭は売ったり死んだりで、いなくなった。家族皆が飢え、10日間歩いて首都に着き、助けてもらった」という状況です。
ソマリヤでは1991年のバーレ政権崩壊後は内戦と機能しない暫定政府(無政府状態)が続き、飢饉にも手の下しようのない状況が続いているのです。海賊が横行するのもそれが一因です。国が国として成り立たなくなっているところにどのようにして支援ができるでしょうか。とりわけ、次の世代への教育がなされなければ、明日の担い手がいなくなってしまいます。
ニュースや新聞で流れていないわけではありません。私たちの視野が狭いので、小さな身の周りのことしか関心を払わなくなってはいないでしょうか。視野が狭くなると、また身近なことを見る目も狭窄します。主が私たちを選んでくださったのは、全世界の祝福の基とするためです。視野を拡げ、身近なところから行動する。そのような者になることを問われてはいないでしょうか。