どうしたら人は大人になるのでしょう。どこが子どもと大人の境界線なのでしょうか。「実年齢マイナス10」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。カラダや体力、容姿、あるいは気持ちがそうありたいと思うでしょうか。精神年齢がと言えばどうでしょう。今の日本に社会がそのように幼くなっていはしないかと憂える人も少なくありません。
学歴もしかり、昔の大学卒が今の高校卒、昔の大学院卒が今の大学卒というような世の中です。大学・短大の進学率、50年前は約15%、今や60%、ニュースで聞くように、高卒で就職も困難という時代です。社会全体が即戦力の人材を要求する時代になって、若者を育てる余力がなくなった。あるいは一つの企業に勤め続ける終身雇用制が崩れ、非正規雇用者が増え、ワークスタイルが変化した。だから大人になれないのでしょうか。
私は「自立」と「交わり」、別のことばで言うと「連帯」いうことが問われているのではないかと思うのです。「自立」とはことばの通り自ら考え、自ら決め、自ら行うこと。それも心理的にも、経済的にも、霊的にもです。それとともに、自分自身で共に生きていくべき仲間と場所をつくることが大切だと思うのです。一人では生きられない私たち人間が、「交わり」を自ら切り拓く力。それをどのように育てることができるでしょうか。
任せること委ねること、信頼すること、失敗を受け止める勇気、そういったものが必要でしょう。そして、境界線。それは自らあいまいな境界線にひとつ区切りをつけて、歩むのです。もう一度、新成人も若い人も大人であることをチェックし、襟を正しましょう。
「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」1テモテ4:12