今教会では来年度の奉仕分担を申し出ていただいています。私たちが奉仕をするということは、キリストの器官として互いに賜物を献げ仕え合ってにキリストのからだを建てあげるためにあります。
まず誰にでも同じに与えられているのは時間です。一日24時間は誰でも同じです。奉仕を献げるということはまさにその自分に与えられた時間をお献げするということに他なりません。しかしながら実際のところ、時間は時間でも自由にできる時間というのは人によって違います。子育て中のお母さんは子育てに時間を費やしますし、からだの弱さを持っていれば、できる時間にも制約があることでしょう。大切なのはどのような思いでお献げしているのかということです。
奉仕は主に喜ばれることを第一に求めるべきです。どれだけの時間を献げたのかよりも、どれだけ役立ったかということよりも、その動機において心からの奉仕を献げたかということこそ大切なのです。そのことがあいまいなまま奉仕をしていると共にしない兄姉をさばいたり、評価してくれない教会に対して不満を抱いたりするようになります。
次に自分に対しても兄姉に対しても比較をしないということを肝に命じたいと思います。能力や才能の比較、優越感や劣等感、そのようなものから解放されなければなりません。多くなせばなすほどへりくだることを学びましょう。
また奉仕はすべて主に栄光を帰して、自分のした奉仕は忘れるようにしましょう。いつまでも自分の手柄にすがりついてはなりません。主のためにしたことですから当然です。心からそう言える奉仕を献げましょう。互いにそのような思いで主に献げるところにこそ神の祝福があるのです。
あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。マタイ6:3(牧師記 2005.2.27再掲)