キリスト教会の中には「きよめ派、ホーリネス」という流れがあります。その起源をたどると18世紀のジョン・ウエスレーに遡ります。英国オックスフォードで彼はホーリー・クラブを始めます。日々の生活を規律正しく行い、メソジスト・規律屋と呼ばれました。国教会の司祭になった彼はインディアン宣教を志して米国へ渡りますが、うまく行かずに帰国。途上、航海中の嵐の中で平安を保ち、神を賛美するモラヴィア兄弟団の信仰に打たれ、その後、自らも真の回心に導かれます。
彼を中心に起こったのが英国の信仰覚醒運動(リバイバル)です。それは冷えていた信仰を聖霊が奮い立たせ、キリストの十字架の救いを鮮やかにする体験です。彼が書き下ろしたものを綴り、一冊にまとめたのが「キリスト者の完全」という本です。彼は、その中でみことばの真理と約束と体験とがどのように統合できるのかを神学するのです。
「キリスト者の完全」とは、「全くきよめられた者は罪を犯さなくなる」ことだと彼は言います。そのようなきよめの体験を重じ、主張するのが「きよめ派、ホーリネス」の教理です。一方で、きよめられた者も「過ちは犯す。誰もその過ちからは逃れることができない」と相矛盾すると感じる教えがその中にはあり、それがこの本の中でも展開されています。神学するとはそういうことです。
信仰によって「全ききよめ」を体験することが至上になると、日々忍耐をもって罪と戦うとことがおろそかになります。すべては信仰義認だから、棚からぼた餅式にお任せすれば一切解決というわけではないでしょう。私たちは地上にある限り、信仰と思いと生活が統合され、「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(マタイ5:48)を目指す途上人、旅人であることを覚えたいのです。天での完成を待ち望みつつ。