寄り添う支えのありがたさ

 今週、健康診断を受けてきました。前回、胃カメラは数度「うっ」と苦しかった記憶があるのですが、今回は何度も何度も繰り返し苦しかったのです。ありがたかったのは看護師さんが背中をさすってくださって「だいじょうぶですよ」と言ってくださったことです。お医者さんも「もう後半ですよ」とか、「終わりが近いです」とか、経過を伝えてくださったのですが、支えられている安心というか、寄り添ってくださることに、とにかくホッとしたのです。
 それで思い出したのは、指切断の事故を起こしたときのことです。人間、とっさのときには感覚が遮断されるのでしょう。その瞬間からしばらくは痛みを感じなかったのです。ところが、救急車に乗った途端、猛烈な痛みが襲ってきました。病院に着くまでの間、救急隊員がずっと腕を支えて励ましてくださったのです。それでどうにかなるわけではないのですが、私たちが必ずどうにかしますという心意気を感じて心底心強かったのです。
 人間、危急のときに何が必要かと言えば、ことが解決することではなく、寄り添う支えがあること。そういうときに言葉は残念ながら不十分です。とにかく、ともにその場にいてくれること、手を握ってくれること、背中をさすってくれること。痛みや苦しみは代われませんが、ひとりじゃないよと寄り添ってくれることのなんとありがたいことか。
 友はどんなときにも愛するもの。

 兄弟は苦難を分け合うために生まれる。
(伝道者の書17:17
 そして、その友とは誰か。よきサマリヤ人のたとえ話の最後には、「あなたも行って、同じようにしなさい。」(ルカ10:37)とイエス様は言われました。親しい交わりをもっている友はもちろんのこと、友となって支えるべき人もいる。こんな私のために友となってくださったイエス様。私も愛の人となって、寄り添う人になることをと祈りましょう。