祈祷会で学んでいるネヘミヤ記はエルサレムと城壁再建のストーリー。城壁の総延長は3.5km、わずか52日で再建を果たします。
彼らは42の部分に分けて修理します。多く修理した者もあれば、少ない分担もあったでしょうが、単純に割れば83m。全部をやれと言われたら、途方もない作業に初めから「どうせできない」というような気持ちになるでしょう。仕事を分担することで、「これならできる。これならできそうだ」と彼らは献げたのではないかと思うのです。
再建には誰でもできる仕事と技術を要する部分がありました。門の再建には「梁を置き、とびら、かんぬき、横木を取りつけた」とあります。一方で石を積む力仕事はとにかく体力勝負、人数勝負の仕事もあったでしょう。金細工人、香料作りという職業の人たちも出てきます。彼らは何をしたんだろうかと思うような職業のです。あるいは女たちとあります。お茶を出し、あるいは食事を作って働く者たちを支えたのでしょうか。とにかく皆、自分のできることを献げたのです。
そこには専門家ではない、素人仕事というようなこともあったかもしれません。お金を出すだけ、あとは誰かがやればいいや、となれば、その仕事内容に仕事の出来・不出来、あるいは不平不満もでてくることでしょう。
これは人が一緒に何かをするとき、私たちが教会を建て上げるときも同じです。彼らにとって目標と目的がはっきりしていました。廃墟となった町が「もうこれ以上そしりを受けないように」(2:17)するためです。こんな状態ではとても神の恵みにふさわしくはない。神の恵みの器を回復させてくださいという願いでした。そのために、それぞれ自分のできる精一杯を献げました。わずかでも自分がお役に立てたことを喜ぶ彼らに私たちも学びたいと思うのです。