私たち教会が、大切なことを決めようとするとき、必ず問われるのが「一致」です。三位一体の神は愛によって三つにして一つのお方です。そして、神の教会は一つとなることを通して御栄えを表すように、主イエス様の尊い贖いによって召された者たちの集まりです。それがゆえに覚えておきたいことを心に留めましょう。
まず第一に、教会のかしらはキリストであることです。このお方の前に私たちはことが導かれることを求めるのです。一つのことに人の数だけ様々な意見があります。誰かの意見が正しく、誰かの意見が間違っているわけでもありません。様々な意見を聞きあって、キリストの導きの中でことが決められていくのだということを忘れてはなりません。
第二に、私もキリストのからだの一部であることです。ときに「教会は」ということばでものを考えるとき、発言するときがあります。そのときにその中に自分が入っているでしょうか。自分以外を指して「教会は」と使うとしたら、自らがその一部であることを忘れていないかを問わなければなりません。
第三に、教会には物事が決まるか決まらないか、進むか進まないかよりも愛が優先するということです。私たちはみな不完全です。欠けのない人など一人もいません。ところが、ことが決まらない、ことが進まないときに原因捜しをして、誰かをさばいたり、批判したりしやすいのです。私たちの罪の性質です。しかも残念なことに、それは誰の心にも起こります。むしろ愛によって補い、カバーし合うことの方がもっと大切です。これをわきまえておかないと、教会が教会でなくなります。
私たちの一致を妨げるサタンの力は強く働いています。何か進もうとしているときにはなおさらです。しかし、もし、御霊に導かれることを求めるのなら、求める者たちに志を一つにしてくださる。それを信じて進もうではありませんか。