聖餐の意味について、何回かにわたって確認をしました。次は教会です。集まることが困難な状況になった私たちです。そして、世界中の教会が同じ状況下にあります。感謝なことに、インターネットが普及して、自宅でもネットを介して礼拝に集うことができます。これが10年前なら、Skypeを使ってテレビ電話ができる程度でした。それが、今は何人何十人がzoomを使ってミーティングをしたり、礼拝を同時配信することができるようになりました。
そうすると、いったい教会って何だろうという根本的な事柄について改めて問い直さなければなりません。どこでも礼拝をささげることができるなら、集まる必要などないのではないか。それぞれが、都合よく参加できればいいのではないかとか、いままで考えもしなかったようなことを思ったり、考えたりします。
教会とは、教会堂を指すのでもなく、あるいは組織を指すのでもありません。教会とはキリストによって召し出された者の集まりです。わかりやすく言うならば、私たち一人一人が教会です。このことはいつも語られて来たことですし、理解しているはずです。ところが、どこか私たちのこころは会堂を拠り所とするような思いを持っています。あるいはときに「教会は」と自分抜きに不平を言ったり思ったり。自らがその一員であって、そこに責任が負うことよりも、一歩置いた方がラクだからではないでしょうか。
「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。」(1コリント12:27)これは、今年の主題聖句です。コロナで教会とはと問われることなど予想もしてはいませんでしたが、その問いを改めて問いかけられています。「キリストのからだ」、十字架の血潮によって救われた者が呼び集められた群れ。まずは、私が、私たちが教会であるということを覚えましょう。