教会は中身で勝負

 先日、修養会の時、S師をお連れしてほったらかし温泉に行きました。休日ということもあって、スゴイ人出です。駐車場には県外ナンバーの車がズラッと並び、入場券の券売機は長蛇の列、中に入ってみると脱衣場のかごは満杯、広い風呂もたくさんの人が思い思いにくつろいでいました。改めてその施設を見てみれば、バラックです。工事現場で使う鉄パイプに板を貼っただけの建物、山奥の施設。何がよくてここに人が集まるのか。それは広々と解放感あふれた温泉、富士山と山々の眺望、甲府盆地の夜景。ガイドブックでは山梨の温泉の人気ナンバー1です。

 私たちの教会の旧会堂もまたバラックに近いもの、米軍払い下げのカマボコ兵舎が会堂でした。カマボコ兵舎とは戦後、進駐軍が持ち込んだ半円形の簡易組み立て兵舎で、順次役目を終えたものが払い下げられたもので、奥多摩バイブルシャレーや松原湖バイブルキャンプでも長く使われました。現在の会堂は1983年に兄姉の尊いささげものと祈りによって立てられました。その喜びや当時の写真を見ると伝わってきます。

 一方、最近心痛めるのは、立派な会堂がありながらも、本当にわずかな人数で礼拝をささげている教会が増えていることです。かつては希望に溢れて会堂を建てながらも、持てあます会堂の小さな集会室を使って細々と礼拝をささげている。

 いったい、ふさわしい会堂ってなんだろうと考えるのです。もちろん、ギュウギュウのキツキツ、体の弱い方や高齢者につらい会堂もしんどいでしょう。でも、少々の不便をいたわり合う教会、いつも教会を愛する人たちによって手入れがされている会堂、それがふさわしいように思うのです。そして何よりも器より中身!それを忘れずに自分の家だと思える教会。それを目指したいと思うのです。