敵か味方かを吹き飛ばせ!

 私にはここ3年来、モヤモヤとした思いがありました。「敵」と思えるような人がいました。震災時、私には大きな責任が委ねられていました。あらゆるところにアンテナを張り巡らして情報を集め、寝る間も惜しんでなすべきことが目の前にありました。主の御前に最善をお献げして、できる限りのことをしてきたつもりです。決断しなければならないことがあり、猶予も許されないようなこともたくさんありました。

 そこに、やることなすこと、ことごとく文句をつけ、働きの足を引っ張る人がいたのです。そればかりでなく、ひどい中傷の言葉を一方的に投げつけてきました。深い失望を味わい、嘆き悲しみを覚えました。そんな中、「いつか見てろ!」というような思いが心に入ってくるのです。「敵」です。やがて、相手にすることで自分が傷つき、思いを乱されることに疲れて、距離をおいて関わらないようにしていました。しかし、根本的には「敵を赦さない」心が隠れていました。

 さて、ヨシュアは民とともにヨルダン川を渡ったエリコの草原で抜き身の剣を持った人物に相対します。ヨシュアは「敵か味方か」と聞くのです。するとその人は、「私は主の軍の将」だと名乗り、「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である」(5:15)と言うのです。「敵か味方か」などという浅はかな思いを吹き飛ばして、ここは聖なる所だと言うのです。

 この言葉は衝撃的でした。問われていることは、いつ、どこで、どんなとき、どんな状況であっても私が置かれている場所は聖なる所だということです。目の前に見える人や状況など問題ではないのです。そう、主の御前にいるということをわきまえ知ることこそ、私に問われていることだと気づかされたのです。あなたはどうでしょうか?