日本の宣教、失敗の原因は?

 修養会ではH先生が「宣教の結実のために克服すべき課題」というテーマでお話くださいました。そのいくつかをここに書き留めて参加しなかった兄姉も一緒に覚えていただきたい、あるいは復習としてともに覚えておきたいと思うのです。

 その中でも、「日本ではなぜ福音宣教が失敗したのか」という問いかけは衝撃的でした。先生が数人のグループで、その論文集を作ってこられたのですが、さすがに論文集にするときには「日本ではなぜ福音宣教が実を結ばなかったのか」という少々やわらかい表現になったそうではありますが、いろいろなチャレンジをこれまで繰り返してきたけれども、上手く行かない。例えば、インターネット伝道、カラオケ伝道、開拓伝道。どれも頭打ち。成功したとは言いがたい。

 その原因として、「日本の教会がキリストの心を具体化していない教会であったから。教会に『ああ、ここが神の国だ』という感動が足りない」というのが第一の原因、そして、「牧師・教職者」が未熟で、「人を活かすこと」が足りないのが第二。クリスチャンを含めた日本人が島国的劣等感の束縛から解放されていないから「日本を活かす」ことが足りないことが第三とお話くださいました。

 そして「皆が活かされて喜ぶ神の国を造ること」、それには聖書のキリスト教的世界観に立って神の国を造る。この新しい「ビジョン(目的)」に進もうではないかとのチャレンジがありました。例えば、「神の造られたものは『すべて良い』、私自身、私の家族、夫・妻・子ども・親、教会の兄弟姉妹、そう思っていますか、言っていますか?という問いかけがありました。もし、そういうものの見方に変えられていないとするならば、神の国を生きるのではなく、この世、罪の中を生きているに過ぎない。そう言うのです。どうでしょうか。本当に神の国を喜ぶ感動に生きることを日々求めようではありませんか。