旧約聖書を学ぶということ

 6月の終わりから旧約聖書のあらすじを学んでいます。コロナからの回復と捕囚からの回復を重ね合わせて、散らされた者が集められることをともに学ぼうと導かれたからです。それにに先立って旧約聖書の出来事を学んでいます。何ゆえに捕囚となったのか。回復に求められることは何なのか。神様が民に導いておられることは何なのか。それを理解するためには旧約聖書全体の流れを理解することがどうしても必要です。
 それで順にそのストーリーを学んでいる訳ですが、兄姉それぞれにその理解の量に差が大きいのです。聖書全体を何度も通読してよく流れを理解している人がいます。教会学校で幼い頃から聞いて、よく知られたストーリーが頭に入っている人もいます。一方でそのストーリーは断片的なもので、全体通しての流れがつかみ切れていない人もいるでしょう。あるいは、旧約聖書はあまり親しみがないという人もいるでしょう。
 創造からバベルまで。そこには世界のすべての始まりが記されています。そして、アブラハムの選びは神の契約の始まりです。恵みと祝福を与える神に信仰をもってお従いする民の始まりです。さらに出エジプトの出来事は契約と贖いを教え、律法の契約と幕屋の礼拝は「祭司の王国、聖なる国民」として生きる道を示しました。一方で、それに従うのか否か、右に左に逸れた民の不信仰、王を求め依存する人の限りを今読んでいます。
 この後、イスラエルの王国はピークを迎えた後、分裂します。そして預言者を通しての神の語りかけと王たち、民の応答と進んでいきます。予定よりも長くかかることをお許しいただいて、しばらく、旧約聖書を学ばせていただきたいと計画しています。旧約聖書は生ける神のあわれみと恵みに富んだ働きと人の罪の現実が露わに記録されています。長い歴史の中でかたちは変わっても私たちの姿を重ねながら読み進めていきましょう。