戦後のキリスト教ブームに続く1950-1960年代、それは日本の都市化、東京への一極集中と重なります。田舎から都会へと人は流れました。日本人の中には家(イエ)文化が深く根付いているように思います。ですから、イエを守り、墓を守って先祖を大事にするために、キリスト者にはなれない。ところが、都会へ出た人はそこから自由です。地方ではなかなか教会が根付くのは難しいのですが、都会ではハードルが低いのです。
考えてみると、地元で信仰を持つというのは簡単ではありません。その土地に根付いた人間関係や文化の中で生きてきて、まったく新しい信仰文化に生活を変えていくには絶ちがたいものがたくさんあるのです。一方で人は自らの属する家族的コミュニティーを求める心があります。そこには父親・母親的存在が求められます。
教会はそのような代替家族的なコミュニティーとして機能してきた面があります。つまり父親・母親的存在の牧師夫婦と若者。それがうまく機能した教会は成長しました。一方、それがうまく機能しないと混乱が起こります。その世代は教会形成がみな初めての経験です。ですから真に聖書的な教会形成であるよりは、家族的な甘えや依存によって機能する教会形成であったように思います。そして、それが後に世代交代、牧師交代となると問題が起こるというケースが少なからず起こる真の原因はそこにあるように思うのです。
また、教会に多く導かれたのは若者です。ところが地方では若者はみな都会に出て行ってしまいます。都会の教会は人的にも経済的にも支えられますが、地方の教会は苗床として送り出すばかりという構造は日本社会の縮図です。伝道はした。しかし教会にはならなかったというところは多くあります。そして、今、限界集落、限界自治体が表れてきたように、限界教会、いや教会閉鎖ということも起こりつつあるのです。(つづく)