1970年代、福音派の教会は宣教師たちの活躍によって大きく前進しました。ここ甲府でも3組、4組の宣教師たちが入れ替わり立ち替わり活動した時代がありました。1ドル360円の固定為替制が変動為替制に移行したのは1973年のことです。宣教師たちにとってはコスパがよかったのです。
この時代の日本人には豊かなアメリカ文化への憧れが根強くありました。今は、いろいろな国の人たちが日本に住むようになりましたから珍しく思うようなことはありませんが当時ガイジンというだけで、人が集まるという時代でした。今はなき学生センターの前に溢れるほどの学生たちが集まっている写真が残っています。それはカルチャーなのか、教えなのか。若い頃の熱なのか、真理への求めなのか。同じ時代の統一教会の原理研究会、あるいは安保闘争なども真理の探究であったのかと問われるような時代です。
宣教師たちの働きと願いの中心はキリストの救いを「伝えること」にあります。ですから、その先の教会になること、信仰生活の成長にも願いはありますが、それは彼らの使命ではありません。宣教師の多くは力を注いで「伝えること」に費やします。宣教師の目標とするところ、それは様々なコンタクトをもって「福音を伝え」、そこから群れができて、牧師を迎えて教会が生まれることです。
宣教師にも教えること、成長を導くことに経験があるわけではありません。宣教師は常にウエルカムでもてなしますが、教会は献げ生きることを教えます。ですから、それがよい協力で進むことが必要でした。多くの教会は宣教師から牧師を迎えて「教会となること」に多くの精力を費やしました。その過程で分裂してしまうこと、歯抜けのように抜け落ちてしまうことが多々起こりました。福音の初めである救いから、さらに進んでキリスト者の成長が福音宣教の大きな鍵の一つであることが問われます。(つづく)