時代の変遷と伝道(5)

 日本の教会の成長は1995年頃を境に鈍化から減少に転じます。それは日本社会の衰退とも深く関わっています。1990年代はじめからの「失われた30年」とも言われる時代背景を考えたみたいのです。その中でも宗教界に大きな影響を及ぼしたのはオウム真理教事件です。1995年、地下鉄サリン事件を引き起こし、教団解散、教祖である麻原彰晃は死刑になりました。
 1980年代からオウム真理教は話題になりました。しばしばマスコミを賑わし、選挙に出て全員落選。派手なパフォーマンスを繰り広げ、パソコンショップを展開して秋葉原では奇妙な呼び込みを繰り広げ、得体の知れない不思議な新興宗教という世間の認識でした。それと前後するのは統一教会の訪問販売。手かざしをする真光、本を売る幸福の科学などみな同じような時期に生まれた「新宗教」「新興宗教」と呼ばれるものです。
 1980年代、高度成長を遂げた日本は一気に豊かになりました。一方でその先にあったものは決して人の心を満たすものではなかった反動とでも言うべきもののひとつのように思うのです。海外旅行に出かけ、毎週末、中央道はスキー渋滞。そんなことでいいのかという反動が超然的体験やズバリを言う教祖への帰依というもの惹かれる背景にあったのではないでしょうか。
 一気に「宗教は危険」、「何かを深く信じることへの警戒」というものに流れは変化していったように思うのです。サリン事件のあった松本では教会がトラクト配布ができなくなったと聞きます。「宗教・勧誘お断り」というポストが一気に増えました。話を聞いてみようかという以前に、門前払いを食らう拒絶です。若者文化にそれはよく表れます。アジアの若者たちは開放的です。一方、ステレオタイプに決めつけてはならないと思いますが、日本ではどこかこじんまり閉じた世界になっているように思うのです。