「師父ポイメンが師父ピオールについて語ったところでは、彼は毎日をまっさらに新しく始めていた。」
このことばは、4、5世紀、荒野で隠者として生きた人たちのことばです。彼らがそれを選んだのは、キリスト教迫害の時代が去り、ときに父、母、兄弟姉妹を捨て、十字架のキリストに従うという人生の大転換から、受け入れやすく生ぬるい宗教に変質してしまった時代であったからです。彼らは、手仕事、断食、祈りに専念することを通して、霊的な修道生活をしたのです。
しかし、一方、彼らがこの世の欲と全く無縁であったかといえば決してそうではありません。そこには様々戦うべき内なる人との戦い、金、権力、名声、コネというような欲望ものはなかったとしても、退屈、悲しみ、怒り、誇りという誘惑から逃れることはできません。主イエス様が荒野で誘惑を受けられたように、地上に生きる限り私たちはそれに抗うことができないのです。今の時代、私たちの生きるこの国、生きるか死ぬか、迫られるようなことは稀です。いつのまにか生ぬるい中を生きているのが私たちです。
では、どのように愛をもってきよい歩みをすることができるでしょうか。主の御前に出ることです。そして、十字架の前にひざまずいて一日一日を始めることです。神にお会いして歩みを整えることです。
昨日のことは、昨日のこと。罪や過ち、赦せぬ思いや憤り、怒りやためらいを主の前に悔い改め、十字架の赦しと愛に力をいただくのです。そして、「まっさらな新しく」一日一日を始めるならば、そこには恵み豊かにあるのです。新年を迎え新しい気持ちに清々しく、今日からまた新しく始めようではありませんか。