水のはなし

 最近、水ってスゴイなぁとよく思います。私たちは水を飲みます。それで潤い、からだを保っています。料理をするにも水、水分のない食事は喉を通りません。煮炊きをして料理することでしか食べられないものも少なくありません。体を動かせば、水分補給がいかに大切なのかわかります。
 洗濯に掃除、汚れを洗い流すには水がなければ話になりませんし、どんなに汚れを掃いても、最後は拭き掃除に勝るものはありません。植物、そして、田畑をするにも水は欠かせません。雨乞いに関わる行事や祭りは日本だけではなく、世界各地にあって、水がいかに大切なのかを教えてくれます。そして、井戸掘りや灌漑の社会インフラをして平和をという働きも多くなされてきました。水は氷になり、あるいは蒸気になり、世界を駆け巡り、何をするにもなくてはならないのです。
 それはそれは不思議だなぁと思うのです。私たちのからだの中から、日常生活、世界中をいや地球全体が水で満ちているからです。地球は水の惑星と呼ばれます。0℃から100℃の間で水は水です。それが実に絶妙なバランスで保たれているからこそ、いのちがあるのです。それが温暖化の影響で崩れているというのが昨今の大問題ですが。
 旧約聖書には井戸の争いがあったこと、飢饉、つまり干ばつが多く記されています。それはいのちに直結しているからです。
「御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。」(黙示22:1-2)
 来るべき御国には、その心配は全くない。安心と平安が約束されている。なくてはならず、一方で多すぎても困る水が、地でも必要十分に満たされるようにと祈るものです。