永遠に価値あるもの

 「老いとは、神様に一つずつお返しして、天に帰る備えをすること。」ある老姉妹の老いの定義です。人が老いを意識するのはいつくらいからでしょうか。肉体的なピークは25歳とはよく言われます。それでも、まだまだ成長できる、やれると思う歳は40歳くらいまででしょうか。いわゆる中年期に入ると老眼が始まったり、髪が薄くなったりともう戻れない肉体的な老いが始まります。個人差が大きいのですが、それでも、手放すという感覚はあまりないでしょう。

 還暦を迎える頃になると、定年という問題と向き合います。社会的に第一線を次に委ねて引退していくということは、自分のいままでやってきたことを手放す第一歩なのかもしれません。そのキャリアを生かせる人は稀です。多くの人は第二の人生設計をし直さなければならないでしょう。いままで生きがいとしてきたことと別れなければならない。そして、新しいことへの適応は若い時ほど柔軟ではありません。

 しかし、それもまた、やめる時がやってきます。糧を得る労働から解放されるとき、人は自分を自分として成り立たせてきたことが何であるのかを問われるでしょう。人生でなし得たことはなんだったのかと問われ、過去へ戻ることはできません。毎日、すべてが自由に使える時間、それを何のために使い、あるいは何を喜びとするのか。

 そして、老いの最後は、日々生きること、それ自体が大きな仕事になります。すべてを手放す備えをしなければならないのです。それは容易なことではありませんが、手放すものあったとしても、永遠に価値あるものがあるのです。「いつまでの残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(1コリント13:13)むしろ愛が豊かにされる老いでありたいものです。