瀕死の民衆〜ヘボンの熱意

 今年はヘボン式ローマ字で知られるヘボン生誕200年です。調べてみると、彼はもともと医師。医療伝道を志して幕末に来日し、同じ志を持つシモンズとともに横浜で活動しました。バラやブラウンら同時期の宣教師たちとともに活躍し、横浜バンドと呼ばれる群れをつくりました。その傍らで日本初の和英辞典である「和英語林集成」を編纂します。

 ローマ字を編み出して日本語を学んだには訳がありました。それは彼が聖書飜訳を志したからです。日本人にどうにかして神のことばである聖書を手渡したかったのです。彼の思いは次のように残されています。

 「わたしどもは美して忠実な翻訳を行い、命の言葉をこれらの瀕死の民衆にまもなく与えることができると信じて疑いません。完成したときには、驚くようなすみやかさでこの国中に広まるでしょう。彼らはそれを期待して熱望しているようです」

 ヘボンの目には、この日本の民が「瀕死の民衆」と映ったのです。

 幕末のこの時期、当時の世界最先端の医療技術を持ち、横浜の地を踏んだ彼。熱心に医療に従事し、あるいは弟子の育成に努めました。彼はそれだけではなく、教育にも尽力します。ヘボン塾を開設、それは後に明治学院の創設へと繋がっていきました。

 医療と教育、大きな貢献をした彼ですが、その願いの中心には、救霊・伝道への熱い情熱がありました。そして、聖書こそが「命の言葉」と信じて疑わなかったのです。いくつもの仕事を同時にこなす類い稀な能力。それをなす原動力となったのは、彼の信仰です。そして、この生ける神への信仰とそれを導く命の言葉こそが、彼の力の源泉だったのです。この聖書のみことばを命のことばとして自分の中に蓄え、また、その素晴らしさを私たちも伝えようではありませんか。