球根と花といのちの積み重ね

 植物の種、あんな小さなものから大きな木にまで成長するのも不思議ですが、球根も不思議です。教会の庭では、春一番に咲くのは水仙、そして今、クロッカスが花を咲かせています。球根は季節を知っていて、それぞれの時期がくると毎年花を咲かせて、春の訪れと知らせ、目だけではなく心も楽しませてくれます。

 草花にもいろいろな種類があって、一年で花を咲かせると種を残して枯れてしまい、翌年は、周りに飛んだ種から再び芽を出し、花を咲かせる一年草、地上部は枯れても根は生きていて、再びそこから芽を出させる多年草、宿根草ともいうものがあります。球根植物は必ず分球と言って、花を咲かせたあとに球根がいくつもに分かれて、新しい株を作りますが、球根が分球するだけではなく、種も残して飛ばすものなど、様々なタイプがあります。いずれも次の世代を残すための仕組みが備わっています。そしてそれが樹木になれば、何十年、何百年という長い時間いのちを保つものもあります。

 それらが芽吹き、緑濃くなり、花を咲かせ、実を実らせ、あるいは葉を色とりどりに紅葉させ、季節ごとに私たちに喜びを知らせてくれる。なんとも粋な計らいを神さまは私たちに与えてくださったのかと思うのです。

 私たちの営みは春夏秋冬、季節とともに進み、季節とともに記憶に刻まれます。暑かった、寒かった、桜の花を見た、ぶどうの季節だった。そのようなひとつひとつの小さな営みの積み重ねが私たちのいのちです。若い人にとっては成長、年寄りにとっては歳を重ねた感謝。そのすべてのことについて、何を自分は咲かせただろうか、どのような実を結ばせるのか。一日では見えない小さなものであっても、それを愛おしみ、神さまがくださった大切な一日であることを心に留め、自分に与えられているよきものを周りに与える歩みをしたいものです。