コロナ禍の不自由な生活が始まって、半年が過ぎました。酷暑の夏が加わって疲れを覚えていませんか。私たちの疲れ、それは、一筋ではなく、心と体と霊とみな切り離しては考えられません。みな繋がっています。そして、しばしば疲れの原因が自分でもわからないようなときさえあるのが私たちです。
その一つは、漫然とした不安でしょう。コロナ禍の生活は、誰がどこでどのように感染したかわからないような事例をたくさん耳にします。そして、重症化して亡くなる方、軽症とはいえ長引く後遺症。もし、自分が感染したらどうなるだろうか。あるいは、先行き不安。「安心」と言えるものの保証は、どこにも行かず、誰とも会わないことでしょうが、そうもいきません。
今年の夏は酷暑が続き、冷房を付ければ付けたで温度差に体はついていきません。欧米人が日本の夏に適応できずに、避暑地で過ごしましたように、避暑地にでも逃げ出したいものの、そうも行かず、上手に疲れを取るのは難しいものです。じわじわと夏の疲れが体に溜まるものです。そういうものが、心と体を蝕むと私たちの霊も衰えます。気力で乗り切ろうとしても、空回りを繰り返す。そんなことが私たちには起こります。
私たちの健康を保つために必要なことは、適度な運動、食事と睡眠、休息。どこかで不規則・不摂生があるとそれを保つことはできなくなります。また、長寿の秘訣を伺うと、「くよくよしない」とか「必要とされている実感」などとよく聞きます。神の御前に一週のはじめに出る礼拝生活、神の御前にあるみことばの養いと祈りの生活、その中で、様々な不安を委ねる平安と、いのちの向かう向きを自分のためではなく、周りの人の喜びを喜びとする向きに正されることが健康な歩みに欠かせないことではないでしょうか。そのようにして、週ごとに、日ごとにすべてを主にあって新しく整えようではありませんか。