神の恵みをともに喜ぶために

 先週は、L宣教師を送り出してくださっているC教会のW師とT兄が訪問くださり、よき交わりをいただき感謝をしています。改めて思わされたのは、李宣教師がここ甲府、そして私たちの教会で働いてくださっているのは、師の献身はもちろんのこと、背後にあって祈りとささげものをもって送り出してくださる教会、兄弟姉妹あってのことだということです。そのことを忘れてはなりません。

 また、私たちの教会が今、このように立てられているのは、そして、私たちが救いにあずかったのも同じように祈りとささげものをもって送り出されてきた多くの宣教師たち、あるいは教会の働きあってのことです。

 宣教のわざはいつも一方通行です。受ける恵み、与える恵み。それはお返しすることができませんし、見返りを求めてのことでもありません。ただただ、神の恵みをともに喜ぶためにです。

 残念ながら、日本は今、世界の中でも最も宣教が難しい国の一つです。プロテスタント宣教150年を越えて、いまだ人口の1%にも満たない。その原因は何でしょうか。新興宗教は次々と起こり、創価学会のように会員を増やしてきた宗教もあります。しかし、今やクリスチャン人口は減少に転じています。

 方策が間違っているのでしょうか。努力が足りないのでしょうか。ハドソン・テーラーのことばに「Impossible, Difficult, Done、不可能、困難、成し遂げられた」ということばが残っていると聞きました。私たちの目にはそう映る。でも神がことをなしてくださる。それを祈りつつ、与える恵み、ささげる喜び、返しきれない恵みに少しでもお応えさせていただきたいと思うのです。そして、神の恵みのわざをともに喜びたいと思います。