老いと死は自分で選べない

 私家族が両親と暮らすようになってちょうど3年が経とうとしています。母に認知症の様々な症状や行動が現れて、二人で暮らすのはもう限界だと感じるようになって呼んだのです。馴染みのある土地や家を離れることは認知症にはあまりよくないと言われます。適応能力が乏しくなっていて進むからです。
 確かに認知症は進みました。すでに、こちらに来る前から自分一人で外出すると帰って来れないことがままあって、警察の助けを借りることもありましたから、一人で外出は難しくなっていました。長年親しくしていた教会の姉妹方との別れが寂しく感じるかと思ったのですが、すでに人との交流が難しくなっていました。それでもしばらくのうちはアルプスの少女ハイジが「山に帰りたい」と言ったように、「取手に帰りたい。ここにはしばらくいるんだと思ってたのにひどい」と夜中に突然騒いだりもしました。徐々に衰えて、料理ができなくなり、耳がひどく聞こえないので、テレビを見ることもなく、何かに興味関心を持つこともなく、今は、横になっていることがほとんどです。最後に残る楽しみは食べることくらいでしょうか。
 横になっているか、食べているかしかなくなった母を見ると、ちょっと切ないのです。赤ちゃんも同じですが、向きが逆です。こうなりたいと思った訳ではなく、老いも死も選べないのです。年寄りに話を聞くとみんなピンコロがいいと言います。しかし、それも選べません。
 いのちは神さまからの賜りもの。また、一人では生きられません。「おぎゃぁ」と生まれた時から育まれ、自立すると自分で生きているように思いいますが、多くの人との交わりの中に生かされています。そして、周りに支えられながらいのちを全うするのが私たちです。「感謝の心を持つ人になりなさい」(コロサイ3:15)というみことばを心に刻みつけて歩みたいものです。