「聖書は、旧新約六十六巻からなり、すべて神によって霊感された、誤りのない神のことばである。聖書は、神が救いについて刑事しようとされたすべてを含み、信仰と生活との唯一絶対の規範である。」これは、私たちの信仰告白の第一条です。それはまた、教会連合の信仰告白と同じで、1992年の教会連合発足時に、それまでの日本新約教団の信仰告白から少々の修正を加えて告白するようになりました。
これは、私たち教会にとって、信仰生活にとって、聖書のみが唯一の権威であることを告白しているものです。それは、宗教改革に端を発するプロテスタント教会がいのちがけで守ってきたものです。一方、「聖書のみ」と告白している私たちですが、どれだけ聖書に親しみ、理解しようとしているのか。告白の通りに生きようとしているのか。口先だけなのか、本気なのか。神のみこころということばを使いますが、聖書の中にそれを聞こうとしているいるのか。心から神のみことばを聞こうとしているのかが問われます。
ここ20年弱でどんな聖書の箇所を礼拝で取り扱ってきたかを数えてみました。この20年ほどで、福音の中心(15回)、ローマ書、性・結婚(6回)、エペソ書、ネヘミヤ書、創世記から黙示録まで(87回)、使徒の働き、信仰告白(23回)、山上の説教、1ペテロ、2ペテロ、信仰告白II(37回)マルコ書、ルツ、ヨセフ物語、ピレモンと進んできました。毎週の礼拝で扱えるのは多くはありません。聖書全体を網羅するなどできないでしょう。そこは、ひとりひとりの聖書通読などにかかっています。
一方、教会全体で聖書に親しむために、そして、理解を深め助けるために何かできるないだろうかと考えました。しばらく、「聖書に親しむために」と題して、理解の助けになることを、皆さんにご紹介したいと書いていきたいと思います。