「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)これがイエス様の地上の最期のことばでした。また、イエスは十字架にお架かりになる直前、次のように教えられました。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)
一方で弟子たちは聖霊がどのようなお方なのか、約束のことばがあってもわかりませんでした。ペンテコステの日、それは、聖霊が与えられたことのしるしです。「力」を受ける。それは自ら動くのではなく、動かされるものです。私たちは「感動」ということばを使います。心が奮い動かされる経験、それを説明するとき、もどかしさを感じます。うまく言い表すことばが見つかりません。そこに居合わせた者にしかわからない「生」のライブ感!でも、分かって欲しい、分かち合いたい。それが私たちの心です。
そのような時、私たちは「とにかく来て、そして見て」と言います。ペンテコステの日、それは聖霊がお降りになったことを皆がその目で見たしるし、ダイナミックな「動」です。一方、聖霊は「静かに」私たちの心に働いて思いを動かされます。「静と動」、どちらにも共通する大切なことは、力を受け、動かされること。主が語りかけて呼びかけておられることにお従いすることです。キリストの証人として、キリストのみこころを生きるために、私たちを語り、教え、促しておられる導きに従いゆくこと、聖霊に満たされお従いする神の人にさせてくださいと祈りましょう。