「再臨を待ち望む」1ペテロ1:13

 短い一節、テーマは「再臨」です。初臨であるクリスマス、復活のイースターは常に祝われていますが、再臨がクローズアップされることは多くありません。

 聖書の死生観・終末観は明解です。キリストが再臨してこの世をさばき、この世を終わらせます。そして、新しい天、新しい地を再創造されます。この再臨信仰が強調される時があります。日本では1918年から1年半に渡って内村鑑三と中田重治が再臨待望運動をしました。それは長続きしませんでした。それは、再臨も、リバイバルもみな人の手によるものではなく、神の時だからです。それが強調されるのは、どうにも乗り越えられない死の壁、この世の不条理、争い合う世界。そこからの救いを求める心です。

 一方で、地上で今を生きる私たち、ペテロが語ってきたのは、本来、罪のゆえに滅ぼされても同然である者が、恵みのゆえに救いをいただいた。その光栄は何にも代えがたい喜び。「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み」と勧めるのです。宗教改革者のマルチン・ルターはこんなことを言いました。「私たちは、イエス・キリストを信じる以前、罪と戦ってはいません。私たちはむしろ、罪の奴隷です。」

 だって人間なんだもん」、「しょせんそんなもんでしょ」、「みんなそうじゃない」。それが罪の奴隷となっている人の姿です。もはや奴隷であることすら気が付かない。ところが、救いをいただいた私たちは罪を知らされたゆえに、より苦しむことがあるのです。知らなければ戦うこともありませんでした。しかし、今や十字架の贖いのゆえに救いの恵みをいただいた。その光栄にふさわしく、「心を引き締め、身を慎む」それが、今、私たちが世を生きる心構えなのです。