苗床になろう

 昨今、日本のキリスト教会では牧師不足と言われます。牧師の平均年齢は61.6歳、団体によっては5割以上が65歳以上という教会も少なくありません。いつの時代でも、何の組織であっても、次の世代を生み出さなければその組織は衰退し、消滅してしまいます。

 そのためには、まず教会が健康でなければなりません。不健康な教会から次の担い手はでてきません。たとえ出てきたとしても、反面教師に育てられたなどというのは不健全です。どこかに歪みひずみが表れてきます。まず、私たち自身がよい苗床にならなければならないのです。

 次に心得るべきことは、誰でも最初は未熟だとわきまえることです。神学校で教えられることはごくわずかで、牧師の仕事は生きる教会と人間の現実の中でしか学べません。そこに届く神のことばを共に聞くのです。たった一人の人間の学んだこと、経験することはほんの一部です。年齢を重ねて経験する中でしか学べない、共感できないことが数多くありますが、牧師は教会の交わりの中で喜び悲しみをともに受け止める経験をします。そういう意味で牧師は信徒が育てるのです。

 それでは何が大切なことなのか。評判です。えっ?と思われるかもしれません。初代教会で問題が起こったときに選ばれた執事は「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人」でした。御霊と知恵は訓練と経験で成長しますが、評判だけはどうにもなりません。「この人なら任せてみよう!」と誰でが思う人を皆が育てるのです。例えばテモテがそういう人でした。割礼を受けるか受けないかなんてことにはこだわりがありません(使徒16章)。心の柔らかさを持っていたのです。その彼と行動をともにし、手紙を書いて育てます。

 私たちも牧師の苗床となり、祈り育てる教会となりましょう。御国の前進のために。