月曜日に教会連合の牧師たち2チームに分かれて茨城の教会を訪問してきました。並行して震災から3週間、被災地の教会の声、ボランティアや奉仕の報告、支援団体や支援者の声、教会員の声、様々な立場の人たちの話を伺いました。その中でそれぞれの立場で苦しみもひとりひとり違うことに気づかされました。
訪問に同行したひとり、Y牧師は阪神大震災で自ら被災し、翌日から3ヶ月間避難所でボランティア生活をした経験をお持ちです。そこで示唆に富んだ指摘を聞きました。
「被災地で見ることは、自分の目で見た範囲のこと、いわばヒューマンスケールの視点。痛ましいことも見るが、小さな親切への感謝、ともに支え合う連帯感、悲しみの共有などが行われる。一方で、メディアの発達した現代、テレビを始めとするメディアで流される映像は、悲惨な光景がリアルに繰り返され、また一方的である。時にそれは人の許容量を越えてしまう。」
それぞれの場所で苦しみは違うし、ひとりひとりの受け取り方も違うのです。私はあなたになれないし、あなたも私にはなれない。でも、それを理解しようと努力することはできるし、共有することはできるでしょう。多くの場合、それは心を傾けて話しを聴くことです。そのことを私たちは今それを学ばされているのではないでしょうか。
千葉県浦安の教会の話を聞きました。「私たちも苦しんでいます。でも東北の人たちのことを考えると自分たちは大変だなどととても言えない。」それは私たちの周りでも同じではないでしょうか。ひとりひとり違うのです。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12:15)をともに学ばせていただきましょう。
(牧師記)