母の様子が「おかしい」と初めて感じたのがちょうど5年前の5月のことでした。会議の帰り道、電話が鳴りました。「お父さんがおかしいん。」様子を訊くと脳出血の症状です。その時には、とにかくそれをどうにかしなければと実家に向かい、様子を確認して直ぐに病院に連れて行き、硬膜下血腫で即手術ということになり、無事に回復しました。
後から考えてみると、私に電話をした時点で救急車を呼ぶべき状況です。ところがどうしたらいいのかわからない。その判断ができないのです。実際に病院に連れて行って認知症と診断を受けたのはそれからさらに3年過ぎてからです。それは不可逆的に進んで、先週は、目の前で食べた、お皿が残っているものも何食べたか覚えていない。というよりも記憶に留まらないのです。こう進行すると聞いてはいたものの、ここまで進んできたかと軽いショックなことでした。
話をしても通じないもどかしさを感じます。自分の意に沿わないことは頑なに拒絶し、ちょっとでも面倒なことは「何が何だかわからない」と言って、考えようともしません。そして、人がどう感じているのかを考えることなどなくなって、自分のことしかわからなくなってきました。そうすると、何をやっても、どこか甲斐なく思えてくるのです。そして、心身すり減らします。
私たち家族がお世話になった丸山軍司先生が「老いを生きる」という本を書いておられます。年老いたお母様の最期を引き取ったのです。兄弟には任せておけない。自分はキリストの愛をもって母を支えると思ったそうです。ところが、そんな思い上がりは早々に打ち砕かれたとその本の中で証ししておられます。実のところ、何が問われるかというと自分自身の内側です。それに精一杯、渦中にいるときには自分を客観視などできないのが私たちです。いつか、通り過ぎたことを振り返り受け止められる日をと祈っています。