修養会IIIでは、「神の国」の実践として、その多様な働きによって知られている賀川豊彦の生涯とその働きについて伺いました。牧師として、また特に社会活動家として名は知られていても、その働きについて学んだのは私にとっても初めてでした。
BS朝日の「昭和偉人伝」という番組で、彼は「21世紀の日本をグランドデザインした男」というタイトルで紹介されました。あるいはガンジー、シュバイツァーとともに世界の三大聖人とも称され、あるいは大宅壮一をして「大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、農民運動、協同組合運動なと、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発している言っても決して言い過ぎではない」と言われるような働きをしたにもかかわらず、キリスト教会で積極的評価がされてこなかったのは、教会の使命としての社会との関わりということが、積極的に捉えられてこなかったからでありましょう。
若き日に結核に倒れ、残ったいのちをスラムの人たちのために使おうと決心したところに彼の原点があります。大正の大ベストセラーとなった自伝的小説「死線を越えて」を読むとその心の遍歴を見ることができます(私も読みました。一読をオススメします)。そして、その中から救貧から防貧へ、社会を造り変えなければいくら立っても貧困はなくならない。彼はそれを政治ではなく運動として始めます。
労働組合、農協、生協、共済、さらに福祉、医療、教育…人の生に求められることはどんなことでも始めます。そして、誰かではなく私が、そして、一人ではなくみんな力を合わせてです。神の国の建設という大きな使命を委ねられ、その動機はすべてキリストの贖罪、その愛に押し出されてのことでした。賀川のように大きなことではないかもしれないけれど、私たち一人一人に、また、教会への神の期待があることを刻みましょう。