身の周りに気を遣う

 10月の全国教職者研修会のとき、「牧師の高齢化」という分科会に参加しました。私も発題をしたのですが、それは、高齢化の傾向とそれに対して、若い牧師を生み育てるということについての発題でした。一方、すでに70代の二人の牧師の発題は、自らの老いと後継者を育て、どのように引き継いでいくのかという課題が中心でした。

 そして、自らの老いの問題としてお話しくださった中に、「身の周り、身だしなみに気を遣う」ということを一つ、その中でお話くださいました。それは、さらっと触れただけのことではありましたが、心がけとして大切にしておられることがよくわかりました。歳をとると、人前での配慮がおろそかになったりすることがあるからです。

 昔から、「服装の乱れは心の乱れ」などとよく言われます。子どもの頃、私の母は、今思えば差別的な言い方で適切な表現ではないのですが、「そんな浮浪児みたいな」などという言い方をしました。戦後の厳しい時代を見てきた痛みもあるのでしょう。それもまた服装の乱れならぬ、国の混乱の現れの一つだったのでしょう。

 「クルマの傷は運転の乱れ」ですし、「庭の荒れ方は住む人の心」です。「見た目で判断しない」とも言われますが、果たしてそうでしょうか。やっぱり内側にあるものが外側に現れてくるものです。だからこそ、「身の周りに気を遣う」ということは、自らの内側を整え続けるということを生涯続けるという大切な心構えだと思うのです。

 あなたはどうでしょうか?私たちの教会はどうでしょうか?かく言う私も気を遣ってはいるのですが、追いつかないということもしばしばです。主に整えていただき、内側も外側も整えられたものにさせていただきたいと思うのです。