「上にあるものを求めよ」コロサイ3:1-4
十字架の赦しとよみがえりのいのちをいただいた。「こういうわけで」新しくされた人の生き方についてパウロは語ります。3節に「あなたがたはすでに死んでいて」という「古い人」と、「あなたがたはキリストともによみがえらされたのな Continue Reading →
十字架の赦しとよみがえりのいのちをいただいた。「こういうわけで」新しくされた人の生き方についてパウロは語ります。3節に「あなたがたはすでに死んでいて」という「古い人」と、「あなたがたはキリストともによみがえらされたのな Continue Reading →
ここには「こういうわけですから」ということばがでてきます。このような論理の展開をする接続詞は大切です。これからの話の前提があるからです。私たちは、罪の赦しを受け、よみがえりのいのちにあずかって新しいいのちをいただいた。 Continue Reading →
この箇所は少々難しい用語が続いていますが、コロサイ書の核心をなす部分です。先に、「キリストに満たされている」と語ったパウロは、キリストが何をしてくださったのかを教えているのです。 「背きと肉の割礼がなく死んだ者であっ Continue Reading →
キリストこそ知恵と知識の宝のすべて。それがゆえに「キリストに根ざし、建てられ、堅くし、感謝するように」とパウロは教え勧めました。続けてパウロは「あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。」(10)と言います。 Continue Reading →
信仰の人ダビデが最期、死期が近づいたときに息子ソロモンに語った遺言、遺すべきことばがこの箇所です。一介の羊飼いの少年であったダビデがイスラエルの敵であったペリシテ人、その巨人ゴリアテを倒すところから始まります。時の王に Continue Reading →
コロナ禍が始まって以来、私たちは物理的な距離を取って、ウィルスの感染からは守られてきたものの、互いの心理的距離や神様との距離まで開いてきたかもしれません。ヘブル人への手紙は、迫害や困難の中、距離が開きはじめていた交わり Continue Reading →
パウロは2節にあるように、「この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け」る歩みをしていくこと、それこそ、パウロが苦闘していることですが、その妨げになっているものが入ってくる。その中でどのようにキリストにある素 Continue Reading →
パウロは「 今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。」(24)と言います。それは、福音を伝え,教会に仕えるために受けている苦しみです。私たちは、ことがスラスラ、うまく行っているとき、恵みに感謝し、新 Continue Reading →
神は、21節にある「あなたがたも、かつては神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にありましたが」という世界に「和解」を与えてくださいました。 第一に、22節の前半は、和解の手段です。「今は、神が御子の肉のからだにおいて Continue Reading →
15節から20節の御子の詩の後半、キーワードは教会、十字架の血、平和、和解です。前半の神のかたちとしての御子、創造から救いへと至る「間」が先の21節にある、「神から離れ、敵意を抱き…」という罪の結末の世界です。 罪に Continue Reading →