先生には、先輩牧師として、多くの配慮と祈りをもってのお交わりを感謝しています。私が指の怪我をして入院したときに、こんな時に読む本こそ読む本だからと持って来てくださったのは長谷川町子傑作集でした。初期のサザエさんの漫画です。袋を空けてみてビックリ。ユーモア溢れるお気遣いでした。
牧会に行き詰まり、悩みの中にいるときには長野へ出かけた帰りにご夫妻で立ち寄って祈ってくださいました。お帰りは休日渋滞する高速道路を深夜遅くになったことです。子どもたちが小さく大変だろうからと途中立ち寄ったスーパーでいろいろ買い込んで持って来てくださいました。祈っていると言うばかりではない、足を運んでくださる愛と配慮の先生でした。
10年位前でしょうか、「牧師」という呼び名は止めて「牧仕」という名前にしませんかと呼びかけてくださったことがありました。どうも師と呼ぶと、どこか高ぶりやすい牧師たち。あくまで仕える者たちなのだと。歳をとると言葉遣いが気になってしょうがないと言うのです。ですから同労者はみな「さん」付けで呼んでいました。四国の善通寺の出身ですが、隣町の観音寺は「かんのんじ」じゃない。「かんおんじ」だと。特に名前には気を付けるようにとことばを一つ一つ、大切にしていました。
主の御前での厳しさも口にしていました。「牧師が多すぎる!」献身者不足の時代にありながら、「同労の者たちよ、真にキリストの御前に自らを吟味して奉仕をしているか。いい加減な奉仕をしてはいないか。」優しさと同時に歯に衣着せぬことばで飄々と寄らば切るぞと侍のようなところがありました。そのすべてはキリストと教会のため。札幌から都心の教会、地方の小さな教会のため、辰口、那珂湊、大洗、旭川、苫小牧とご奉仕くださいました。その地上の生涯で残してくださったよきものを感謝したいと思うのです。