「いいよ、いいよと言ってる間に」1列王記11:1-13

 ソロモンは神殿奉献の祈りにおいて、「罪に陥らない人は一人もいません」と告白し、罪こそが最大の問題であることをわきまえているはずでした。ところが、「言うは易し、行うは難し」です。彼が犯した罪過ちと原因、そして、私たちが身をきよく保つために必要なことが何なのかをみことばに聞いていきましょう。
 彼の繁栄は諸国の者たちの憧れの的となり、その栄華は謁見者たちが驚嘆するものでした。権力と富、誉れを集めた彼は妻が700人、側女が300人という一大ハーレムを築きます。把握することも治めることもできない数です。そして、彼女たちが持ち込んだ異国の神を「いいよ、いいよと言ってる間に」だけではない、自分の心にも甘くなり、神の戒めから逸れていったのです。神のさばきは厳しく、王国を引き裂くと言われました。
 彼ほどの知恵者がなぜでしょう。優れたものを手にして彼はすべてのことがうまく行っているかのような万能感を手に入れ、周りにイエスマンしかいなくなり、謙虚な心で自らを省みることのない裸の王様になってしまったからではないでしょうか。
 「あなたは若いときの情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」(2テモテ2:22) という勧めのことばがあります。避けなければならないものがあるのです。そして、もう一つは周りに教え合い、戒め合い、励まし合い、慰め合うよき仲間とともにあってはじめて、きよい歩みをすることができるのです。
 それでも伝道者の書、ソロモンに由来する書の最後、「財産も名声もすべてはむなしい。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」ということばが遺されています。そういうことでは望みがあるのです。祝福と失敗という光と影の中、それを超えて主のもとにあることがすべて。なおさらのこと地上にあってわきまえ生きてまいりましょう。