O聖書教会との交わり

 群馬県O町、たとえて言うなら、群馬の昭和町です。クルマのスバルの工場から味の素の工場、パナソニックの工場など工場が立ち並ぶところ、昭和町と同じように税収によって群馬県で最も潤い、また工場労働者として、外国人人口が約2割、そのうちブラジルやペルーの日系人1割。町中にはポルトガル語の看板が連なり、北関東3県の中では人口密度が最も高い町です。
 教会の始まりは1978年のこと、K師の開拓伝道に始まりました。そして西甲府キリスト福音教会におられたY師が1988年から働きながらのご奉仕をされました。それから長い間、支援を続けています。Y師が高齢になって協力牧師となってからは、T師が短く奉仕した後、2018年よりS師が牧師として奉仕をしています。Y師は日系ブラジル人教会の協力牧師としての奉仕も続けています。
 教会の始まり、それは何もないところから始まります。昭和町キリスト教会の始まりのときもそうでした。そして、その後、大きな成長をする教会もあれば、なかなか前進できなかったり、停滞したり。それは、私たちの教会もまた同じです。それでも、その地に立てられた教会として精一杯主に献げている兄姉がいるのです。
 だからこそ、支援をする。いや重荷をともに負うことは私たちがともに与えられた大切な務めだと思うのです。パウロもコリントに行ったときには孤立無援でした。主が備えてくださったプリスカとアクラとともに天幕作りで生活を立てて伝道しました。ですから、働きながらの伝道はテントメーカーと呼ばれます。やがてマケドニヤの諸教会から届いた献金によって、伝道に専念するようになりました。それは、主にある教会が自分のところだけではない、世界宣教というともなる使命をいただいているからです。献げものととも祈りとりなしをともにしたいと思います。