「あなたの罪は赦された」マタイ9:1-8

 四苦八苦ということばがあります。元来は仏教用語ですが、生老病死の四苦に加えて八苦、人生の苦しみを言い当てたことばです。中風の男が連れて来られました。イエス様は「あなたの罪は赦された」と言われ、心の中でつぶやく律法学者を前に「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」と問いかけられるのです。
 私たちは目の前の問題の解決を求めます。もちろん、病はこの人を長年苦しめてきたことでしょう。しかし、癒やされても問題は再び起こり、まるでモグラ叩きのように次から次へと逃れることができません。ここで問われているのは永遠の問題です。それは「罪」という問題なのです。イエス様はの生涯は誕生からよみがえりまで、そのみわざは一貫して罪の赦しです。
 欲や赦せぬ心、さばく心、人はそれを取り除けと言われても取り除けません。人は自分では罪の問題をまったくもって解決できないのです。本来、人は神を愛し、隣人を愛するいのちを生きるように造られました。しかし、的を外してしまいました。問題はいのちの造り主である神から離れていることにあるのです。それが罪なのです。
 「あなたの罪は赦された。」それは、神に立ち返っていのちを生きる新しい出発です。そして、その赦しはご自身のいのちを十字架に捨てて贖いとなってくださるゆえの赦しです。その権威をお持ちであられる神であることをイエス様はここで示されたのです。
 この「あなたの罪は赦された」と言ってくださる恵みにしか人に救いはありません。この救いをいただくなら、あわれみを受けたようにあわれみ、赦されたように赦し、愛されたように愛す、その力をいただきます。それが神さまがくださった平和の方法です。いのちを捨てて十字架で贖いをなしてくださったお方を常に主として仰ぎ見て、平和の器に造り変えられるのです。なんと幸いなことでしょうか。