「こっちもこっちなら、そっちもそっち」1列王記12:1-20

 ソロモンの罪ゆえに、王国を引き裂くさばきの宣告がすでにされました。彼の存命中には北に南に敵対する者が現れ、内部からは家来の手腕家であったヤロブアムがそれがゆえに王に追われエジプトに逃亡していました。彼はすでに預言者アヒヤによって、十部族を手にすることを委ねられたのです。
 ソロモンが死ぬと、北の部族はヤロブアムを呼び戻します。シェケムは北の中心地で、最も有力なエフライムとマナセの相続地の境に位置していました。彼はかつてヨセフの家であるこの二つの部族を治めていた実力者であったからです。そして、レハブアムとの交渉の表に立つのです。そして、ソロモンのくびきを軽くするならあなたに仕えようと言うのですが、レハブアムは耳を貸さず、「私の小指は父の腰より太い」と長老たちのことばに耳を貸さずに若者たちに相談して言うのです。このことばに分裂がはっきりしました。
 この出来事は「主がそう仕向けられたからである。」(15)とあります。彼らには主との契約がありました。「わたしのほかに神があってはならない…」そして、このシェケムという場はカナンの地を占領したときに、ゲリジム山とエバル山という二つの山を前に祝福を選ぶかのろいを選ぶかという選択を迫る場所だったところです。この場所でのレハブアムがしたのは主がソロモンのゆえに仕向けられたのろいを自ら選ぶということだったのです。こっちもこっちなら、そっちもそっち、神のみこころなど何も働いていないようなところ、そこにも主の御手が働いているのです。
 私たちのとっての選択は古い人と新しい人、肉の人か御霊の人かという迫りです。罪深い私たちは十字架のゆえに赦され、神の前に立つ人にされました。ですから、主のみこころを選び進ませてくださいという祈りこそが私たちの選択の鍵です。祝福の道を選び取って進もうではありませんか。