「うまくいくとき、いかないとき」2歴代誌11:13-17, 12:1-12

 南北に分裂したイスラエル、北のヤロブアムの道は神を捨て、偶像に向かう道でした。一方南のレハブアム、彼は王国奪還を試みようとしますが、神の人シェマヤに告げられたことばに従い、南王国を固めます。北からは職を解かれたレビ人、神を礼拝する民がエルサレムに来て力添えをし、へりくだって国づくりをします。
 しかし、それは3年の間でした。人にとって3年というのは、動かぬことをじっと耐え忍んだり、心新たに始めたことを頑張る時間です。しかし、残念なことにことがうまくいくと、レハブアムの心が高ぶって律法を捨ててしまうのです。妻や側女を娶り、28人の子を設け、その中でもお気に入りのアビアをリーダーにしようとします。みんなうまく行くのです。すると、自分の知恵や力でなんでもできるような気になって、神などいらないとなっていきます。
 神はそこにエジプトの王シシャクを大軍とともに送ります。防備の町を打ち破りエルサレムに攻め寄せます。シェマヤがそれは主を捨てたからだと告げると王たちはそれをへりくだって認めたのです。シシャクはエルサレムの王宮と神殿の財宝を何もかも、あの栄華を奪い取っていきます。これは主の懲らしめです。「主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」(ヘブル12
:6)というみことばの通りです。
 私たちには、「うまくいくとき、いかないとき」があります。うまくことが運んで、その度に心高ぶらせることがないだろうか、うまくいかず、にっちもさっちもいかないことばかり。それは、私たちがへりくだって、主の恵みとあわれみを求めるためです。そして、確かに回復をあたえてくださるのだということを、もう一度、学びたいのです。「心の貧しい人は幸いです。神の国はその人のものだから」とあるように、「うまくいくとき、いかないとき」、そこに主がともにおられ、主に立ち返り、心新たに歩ませていただきましょう。