私たちは絶えず何かしら解決したい問題を抱えています。おおよそ、人が考えられる解決は、力や仕組み、社会を変えれば、状況を変えればことが動く。そのような向きに向かいます。ところが、ここでペテロが語るのは、「キリストの模範に従って、あなたが変わること」です。どのようにしてそれはなされることでしょうか。
イエスは弟子たちに、何度もご自身が十字架で受難なさることをお話になっておられました。ここでペテロがそのキリストの受難について語るとき、それはイザヤ書53章「苦難のしもべ」の引用です。私たちの贖いのために身代わりの受難を指しているとは、とうてい及びもつかなかったではなでしょうか。
この手紙を書いているペテロ自身、それを理解できませんでした。それがわかったのは復活のイエスにお会いしたからです。ペテロは自分自身がどうにもならない者であることをいやというほど知らされたペテロ。イエスに、「あなたは私を愛するか」三度問われ、「主よ。この人はどうですか」としか言えないペテロ。そのペテロに、「あなたは私に従いなさい」と主は言われました。
キリストの十字架、そこで主イエスは「正しくさばかれるお方」にお委ねしました。それは自分にある決定権、選択権、それらをすべて捨てることです。神がなさったのは復活の勝利です。お委ねしたときに、神がくださるのは勝利なのです。それをペテロは目の前ではっきりと見ました。私たちの歩みもそうです。自分ではどうにもままならず、コントロールできないのです。しかし、たましいの牧者であり監督者が常についている。それなら、どんなことでもできる。その涙も苦しみも、すべてを勝利に変えてくださることを信じてついていこうではありませんか。