この2章では、偽預言者、欲に引きずられる人の姿について教えられています。そしてそれは12節で、「自然に生まれついた、理性のない動物と同じ」と表現されています。新しい訳では「本能に支配されて」と訳し直されました。いったい、私たち人間と動物とはどこが違うのでしょうか。
人の起源、そこには二つの考え方があります。一つは進化論的人間理解です。世界のすべてはみな、単純なものから進化して今の世界ができてきたと考える考え方です。そこにはいのちの意味や目的は見つけられません。たまたま、偶然の積み重ねです。もう一つは聖書の教える、「神のかたちに人が造られた」という大切な人間理解です。「人は考える葦」、動物とはそれがゆえに根本的に違います。人格と理性が与えられているのです。
一方、それを捨てて、動物のように衝動と本能によって、あるいは欲に支配されて生きる人は、「昼のうちから飲み騒ぐことを楽しみと考え」(13)、「その目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、心の定まらない者たちを誘惑し、その心は欲に目がありません。」(14)そして私たちもそれと無縁ではないのです。
ペテロはそれをバラムの道ともの言うロバとして警告を与えています。それを思い起こせというのです。民数記22-24章に出てくるバラムは欲に引きずられ、「不義の報酬を愛し」ます。そこに、抜き身の剣を持った主の使いが立ちふさがるとロバは身を避け、しゃべるのです。それで彼は神の御前に立ち返るのです。ロバさえものを言って留められたとしたら、なおのこと、私たちは「心に正直に」などいう言い訳を捨て、与えられた理性を用いて神と十字架の恵みを仰ぎ見、ふさわしく生きることを願うのです。