十字架の赦しとよみがえりのいのちをいただいた。「こういうわけで」新しくされた人の生き方についてパウロは語ります。3節に「あなたがたはすでに死んでいて」という「古い人」と、「あなたがたはキリストともによみがえらされたのなら」という「新しい人」です。
旧約聖書には、新しい人にされたサウル王がでてきます。彼はイスラエルの最も小さい部族の最も小さい家族、その私が王とされるなどとはと恐れます。何にも持たない者が王とされるということは、人間的なものを頼りとするのではなく、神によって立てられ。その御前に謙遜と神の力によって生きよ、その務めをせよということでした。ここにある古い人から新しい人に造り変えられるということも同じことです。
新しい人は「上にあるものを求めなさい」とあります、それは神の右の座、王座です。イエス様は「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」と教えられ、「求めなさい、そうすれば与えられます」と教えました。パウロはそれに注意深くことばを重ねて求めるだけではなく、「上にあるものを思いなさい」と教えます。「思いなさい」ということは「いつも」です。キリストが与えてくださるものをいつも考え、それを基準に生きよという勧めなのです。
次にパウロが語るのはやがてきたるべきキリストの再臨の日のことです。聖書の終末観は明快です。キリストが再臨して、この世をさばき、この世を終わらせ、新しい天と新しい地を再創造くださる。そのやがての世界と今を生きる私たち。今は隠されているけれど、やがて与えられる栄光の日が来る。ならば、今も後も、神と共にある慰めと力をいただいて、様々な困難や試みがあろうとも、上にあるもの、神の右の座におられるキリストを求める歩みをしていこうと呼びかけているのです。私たちも「いつも」上にあるものを求め歩みましょう。