「主は私の羊飼い」詩篇23篇

 詩篇23篇は多くの人に親しまれてきました。どこか牧歌的なイメージがしますが、羊飼いというのは過酷な労働です。ダビデは自身の経験をもとに歌いました。羊は人に飼育されなければ生きていけない動物です。同様に私たちは本来、羊飼いである神のもとでしか生きられません。私はキリストのもの。そこにこそ、喜びと自由、平安があるのです。
 羊に必要なのは、緑の牧場と水と清潔です。それを保つためのケアが絶えず必要です。それは、私たちの必要すべてを主が満たしてくださるという告白なのです。そして、たましいを生き返らせ義の道に導かれる。羊にとっても私たちにとっても、慣れ親しんだ習慣を繰り返す方が楽です。一方、義の道に導かれるとは聖さへの招きです。古い人を脱ぎ捨てて新しい人を着る。それがダビデの願いであり、私たちが求めるべきことです。
 死の影の谷、それは季節に応じて牧草地を求めて移動するために必ず通らなければならない道です。獣から守るのが杖です。道を逸れるときに引き戻すのはむちと杖です。そして、囲いに入るときに、気を配って傷や病気、悪い虫がついていないか毛をめくり上げて確認するのも杖です。そのように人生の困難、通らなければならない道にあって、主は私たちを守り導き、また、あらゆる霊の病からもお守りくださるのです。
 そして、香油と食卓。香油は病気を予防し、埋葬のしるし、祝福の象徴でもあります。日毎の糧としての食卓、それはからだのパンだけではなく、いのちのパンであるキリストの贖いを豊かに備え、御霊の油注ぎをもって私たちを満たし導いてくださる主への感謝と信頼です。それは「いのちの日の限り」。羊飼いとして愛の配慮をもって私たちを導いてくださる主に信頼と感謝を尽くして喜び歌う。それがこの詩篇です。喜び歌いつつ、私たちも御前を歩もうではありませんか。